みなさんこんにちは。
気になってましたでしょうか。
成田市民です。
成田駅前に訪れたことがある方はご存じかもしれませんが
JR成田駅東口のロータリーにはなぜか不自然に残された一本の大木がございます。

こちらですね。
あぁあるよね、という方も多いのではないでしょうか。
あまり気に留めなくとも一度気になり始めると寝れない方も多いのではないでしょうか。
なぜこの場所に一本だけ気が残っているかを本日は解説致します。
名称がちゃんとあり不動の椎(フドウのシイ)と読みます。
目次
基本情報:不動の椎(成田駅前ロータリーのシイの木)



解説
- JR成田駅東口ロータリーに謎に1本だけ立つシイの木で、「不動の椎」という名で地元に伝わっており、樹齢は700年ともいわれているが具体的にいつから存在したかは不明です。
- 長年の時間の経過や落雷等もあったのかもあり幹は焼けた跡や痛みが激しいが青々と咲いています。
- ロータリー自体がこの椎の木を避けるような構造になっています。
成田市民的視点
この木はいつから存在するのか?権現山との関係は?

※昭和初期頃(1937年)の成田駅、よく見ると左側に椎の木が映っています。
今の成田駅の形は1979年に20mという大幅なセットバックを実施し再構築されています。
解説
- 現在の成田駅周辺は昔々、権現山(ごんげんやま)と呼ばれる松や杉が鬱蒼と茂る山林でした。
- 権現山自体が江戸時代頃から湯殿山権現社が祀られている聖地として扱われており、このエリア自体が神聖な場所でした。
- 現在の成田駅の場所に電車が通ったのは1897年(明治30年)、その当時に駅前周辺を大規模に伐採しましたがなぜかこの椎の木は残されました。
成田市民的視点


なぜ1本だけ取り残されたのか?伐採話はなかったのか?



椎の木の周りはスッキリしている印象
解説
- なぜこの木だけ残されているかの決定的な理由は実は行政でも不明のようです。
- 公式としては地域の人から残して欲しいという要望があり現在まで残しているという記録。
- これは噂話程度になりますが、これまで幾度となく伐採のお話が出ましたが、実際に作業をしようとすると問題が起き伐採まで至らなかったという話もあります。
成田市民的視点

「不動の椎」と呼ばれるようになった由来とは?

※平成18年に成田市が発行している広報でも不動の椎について言及されております。
解説
- 明治30年の鉄道開設以前、成田詣は泊まりがけの旅であり、門前町の旅館は各地からの仲居さんが働く場所でした。故郷を離れた彼女たちがシイの葉を一枚懐に忍ばせ、心の拠りどころにしたというエピソードがございます。
- 参拝客や地元の人々からもお不動様の分身として崇められるようになり、やがて「不動の椎」という名で呼ばれるようになりました。
- 成田鉄道・鉄道省・国鉄・JRと時代を経て成田駅の名称や運営が変わり続ける中、不動の椎だけは当時の権現山の面影を現世に伝える唯一の存在です。
成田市民的視点
まとめ

以上が成田駅前の謎の一本木
不動の椎についての解説となりました。
上から見るとよりその異質さが分かるかと思います。
今までもこれからもこの一帯はこの木に守られるのではないでしょうか。神道的な考え方ですね。
世の中、普段気に留めなかったものもフォーカスしてみると興味深いことが多々掘り起こされます。
また、今回からちゃっかりブログの体裁を大幅にアップデートしております。
※AIではなく私の言葉で原稿は書いておりますのでご安心ください。
成田市民ブログは常に進化を続けます。
今後も皆様にとって見やすく認知的負荷が少ないような構成を考えて参ります。
本日もありがとうございました。
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