みなさんこんにちは。
街を見下ろしておりますでしょうか。
成田市民です。
10月も後半に入りようやく秋らしい風が吹くようになってまいりました。
風の冷たさを肌で受け冬の吐息を感じ
少しだけセンチメンタルになる季節皆様いかがお過ごしでしょうか。
人生は有限です。
この瞬間は二度と訪れない。
せっかくならふと思い立ったことを実行するのが人生を面白くする方法の一つなのではないでしょうか。
そんなわけで自宅近所の成田駅前のホテルに1泊して参りました。
ずっと泊まってみたかったんですよね。
近所に住んでいると地元のホテルってまず泊まらないんですよね。
毎日のように前を通っているのに中のことは何も知らない。
近所にあるけど行ったことが無いお店があるのはあるあるかと存じます。
そんなわけで本日はJR成田駅と京成成田駅から徒歩1分
花崎町にそびえ立つ「ホテルウェルコ成田」についての記事となります。

成田の方であれば
旧ホテルレッツ成田
メルキュールホテル成田と言った方がピンとくるかもしれません。
結婚式や宴会、屋上のプールの記憶がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
今回は最上階の部屋に泊まった記録と合わせて
登記や古い資料を取り寄せ、この建物の40年をたどってみました。
この記事では
・ホテルウェルコ成田の基本情報
・100年前から続く土地の移り変わり
・レッツ、メルキュール、ウェルコと看板が変わってきた建物の歴史
・2026年の最上階に泊まってみた感想
・屋上に残る、いまは使われていないプール
について解説致します。
ホテルウェルコ成田 基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | ホテルウェルコ成田(旧ホテルレッツ成田/メルキュールホテル成田) |
| 所在地 | 千葉県成田市花崎町818-1 |
| アクセス | JR成田駅・京成成田駅から徒歩約1分 |
| 建物 | 本館:鉄骨鉄筋コンクリート造 地下1階・地上11階(1984年12月開業)/別館:鉄骨鉄筋コンクリート造 地下2階・地上9階(1987年9月オープン) |
| 客室数 | 約250室 |
| チェックイン | 14時から(予約プランにより異なります) |
| 宿泊料金 | 私が泊まった日はダブルで7,000円(1か月程前に予約でナイスプライス。日や曜日で変わります) |
| 運営 | ウェルコホテルズ株式会社 |

駅を出て数十秒。成田の駅前に来たことがある方なら一度は見上げたことがあるはずの建物です。石張りの重たい外壁と、階段状に積み上がったガラス。今のモダン至上な建物には無い80年代のホテル特有のバイブスがたまりませんね。
100年前は鉄道会社の本社|ホテルが建つまでの土地の移り変わり
まずは土地の話からです。
ここからは少し文字が多くなりますので
歴史が気になる方のみお付き合いください。

とある資料にこんな写真が載っていました。
説明書きには「場所は現在のホテルレッツ成田(花崎町)の位置」とあります。
成田鉄道は1896年にできた私鉄で、いまのJR成田線をつくった会社です。
写真が撮られたのは、国に買い取られて国鉄になるその月。
つまり100年ほど前ここには鉄道会社の本社があったとみられます。
当時の貴重な写真ですが全然想像できませんね。
そこから先は登記を取って追いかけてみました。
所有権が何度か移動した後
1983年に東京の会社がまとめて土地を買い上げます。
その後1年4カ月ほどで現在の本館が完成し営業を開始しています。
これほどまでの巨大な建築物をたった1年ちょっとの短いスパンで作り上げてしまうなんて当時の日本の勢いを感じずにはいられません。
国土地理院の空中写真でも移り変わりを確認してみます。
赤線がいまのホテルの敷地です。

1979年は開港の翌年。まだホテルはなく、低い建物が並んでいます。

1983年、上の区画は更地になっています。

1986年、上の区画に本館が完成します。下の区画にはまだ古い建物が残ります。

1989年、下の区画に別館が完成しているのがわかります。
屋上に水色に光るガラスの屋根が見えます。これは後ほど。
並べてみると、ホテルの敷地は上下2つの区画に分かれているのが分かります。
上が1984年完成の本館、下が1987年完成の別館です。
最初から現在の形ではなく後から別館が追加されました。
そして気になるのが赤線の左側にある切り欠きです。
ここにある花崎町818番4という土地だけは、ホテルの敷地ではありません。
本館と別館がこの土地を三方からコの字に囲んでいる形です。
1983年3月
地元の地権者がここに8階建てのマンションを建てます。
いまの信水舎ビル(信水ステーションハイツ)です。
その4か月後東京の会社が隣の土地をまとめて買い
翌年ホテルを建てました。
登記を見る限り、土地を取り合ったような形跡はありません。
1年違いで、売った土地と売らなかった土地が隣り合った。
それだけの話なのですが、40年たったいまもその形がそのまま残っています。


成田駅前に存在した一等地をまとめて開発しました。この場所には個人名義の家やアパートが存在した時代もありましたが面影も一切残っておらず時の流れというのは景色を変えていきますね。
当時客の7割はクルーだった|建物と持ち主の40年
1978年5月、成田空港(当時は新東京国際空港)が開港します。
当時の京成の空港駅はターミナルから離れた場所にあり(いまの東成田駅)
鉄道は空港ターミナルに直結していませんでした。
成田の駅前が空港の玄関口のような役割を担っていたわけです。
1983年7月、この土地をまとめて買ったのは
東京のマンション会社「大都高層開発 株式会社」
1974年設立、会社謄本を確認すると事業の一番目に「ホテル経営」を掲げていた会社です。
そして1984年12月25日
満を持して「ホテルレッツ成田」が開業します。


1985年版の日本ホテル年鑑を調べてみると宣伝文句は
すぐれた施設と豪華な雰囲気を兼ね備えた国際ホテル
国際ホテル。響きからして80sバイブスが溢れています。
成田空港が生まれて海外がより身近になってきた時代
日本が最も勢いがあり世界のナンバーワンを狙っていた時代でした。
今ではありえませんね、人口も減りこの国の力は日に日に弱体化しています。

※『日本ホテル年鑑 1985年版 東日本編』p.491より
客室は111室で、ツインが1泊12,000円。
ダブルはわずか7室だけでした。
最上階はスイートルームではなくダブルの部屋になります。
余談ですが建築当初の住宅地図を見ると建物名は成田プラザとなっておりました。
結婚式場に最大600人の宴会場。
和・中・洋のレストランにバー、焼き鳥コーナー、花屋まで入っていたようです。
交通の欄には「国鉄成田駅より徒歩2分」の文字。
まだ国鉄表記です。
泊まる場所というより、街の冠婚葬祭と社交の場だったのではないでしょうか。
今でも何かしらの集まりや行事、セミナー、試験等をこのホテルで行っているのをよく見かけます。

1987年9月には別館(ANNEX)がオープン。
屋上のプールと会員制のスポーツクラブ付きで
空港のシャトルバスの車体にもその名前が入っていました。

「Hotel Let’s Narita」に「Let’s Sports Club」、そしてレインボーのライン。
このバスの浮かれたデザインがたまりません。希望に満ちていますね。

国会図書館で1992年の業界誌を見てみると
驚くべき数字が出てきます。
1992年5月の時点で250室、4月の稼働率は91.68%。
そして客のうち、クルー(航空会社のパイロットや客室乗務員)の割合が70%。
成田で最も高く成田の平均は40〜50%だったそうです。
今でも多くのクルーを見かけますが利用者の大半はクルーだったようです。
クルーは1組10人前後。
年間契約で部屋をまとめて押さえ、料金は1〜2割引きだったそうです。
当時の社長も「成田で発生する宿泊はやはりクルーが中心」と話しています。
当時の成田は「ホテルが足りない」と言われ、稼働率はほぼ連日100%。
当時の市の人口8万7,000人のうち
4万人が外から来た空港関係者だったと言います。
成田は空港の恩恵を受けて今日までの経済成長を遂げました。

今ももちろんクルーは多いのですが利用客を見ているとインバウンドが多いような気がします。クルーで駅前が賑わっていた80年代を、私は見たことがないのに懐かしく感じてしまいます。俗に言うとアネモイアというやつですね。街もギラギラしており私はその時代に大きなあこがれを抱いています。
満室から競売へ(1992〜2002年)
ただ、ここから雲行きが怪しくなります。
1991年、JRと京成が空港ターミナルの真下まで乗り入れ
都心から空港へ直接行けるようになりました。
このとき使われたのは、幻に終わった成田新幹線のために造られていた線路と駅です。
直で都内から空港ターミナルまで行けるようになり
成田の駅前に泊まる理由が少しずつ減っていきます。
一方で成田のホテルは約3,500室から
3年で2,000室以上も増えました。
新しい大型ホテルの多くは、空港寄りの幹線道路沿いです。
今でこそ滑走路は2本ありますが
当時の成田空港は滑走路1本のままで、フライトはこれ以上増やせない。
ホテルの供給が需要を上回り
やがて値下げ競争が起き
多くのホテルが1泊1万円を切ったそうです。
そんな中、ホテルのオーナーである大都高層開発は
1996年に2軒目の「レッツガーデン成田」(吉倉)を開業。
同じ年の8月、本館側の土地と建物の登記に
ゼネコンのフジタの名前が出てきます。
上限145億円の「根抵当権設定仮登記」というものです。
ここからは私の推測になりますので、流し読みでお願いします。
2軒目を建てるときホテルの会社は銀行から多額のお金を借りたはずです。
こういうとき銀行は保証人を求めます。
その保証人になったのが、フジタだったとみられます。
バブルの頃ゼネコンは工事を取るために施主の借金の保証人になることが多かったんです。
保証人は本人が返せなくなったら代わりに返さなければいけません。
そのときは「立て替えた分は、1軒目のホテルを売ってでも返してもらう」
この約束を登記にしたものが、145億円の正体です。
145億円は借金の額ではなく、「最大でここまで取り立てられる」という上限。
2軒目の建物に付いた借入(合計約134億円)とほぼ同じ規模です。
2軒目の失敗のリスクが1軒目の担保に書き込まれていた。
生々しいお話です。
実際、2軒目の建物は開業の翌年すぐ
1997年にフジタ系とみられる会社へ移り
2000年には借金の名義もフジタ自身に変わっています。
保証人が、本当に借金を背負うことになったわけです。
その2軒目もその後また持ち主が変わり
いまは別の会社のホテルとして営業しています。
ちなみに、駅前のいまのホテルウェルコ成田は、フジタの持ち物になったことは一度もありません。
フジタが押さえた145億円の枠はこのあとの競売で消えることになります。
2001年6月、千葉県が県税の滞納で差押え。翌月には裁判所が競売を始めます。
2002年5月、本館と土地は競売で米国の会社が落札。
2002年8月ごろ、ホテルレッツ成田は営業を終えました。
大都高層開発株式会社は破産などの記録がないまま
2015年に法律の規定で解散扱いになっています。
メルキュール、そして地元の会社へ(2003年〜)
ここから更に複雑になります。
登場人物が多いので、先に表にまとめます。
| 時期 | 持ち主(登記の名義/実際の持ち主) | 運営 | 看板 |
|---|---|---|---|
| 2002〜2005年 | 米国の会社(ファンド)/同じ | ソラーレ(2003年6月〜) | メルキュールホテル成田(2003年6月〜) |
| 2005〜2012年 | 信託銀行/外資ファンドの会社 | ソラーレ | メルキュールホテル成田 |
| 2012〜2013年 | 信託銀行/芝山町の地元企業 | ソラーレ | メルキュールホテル成田 |
| 2013〜2018年 | 信託銀行/芝山町の地元企業 | 地元企業のグループ(大清ホテルズ) | メルキュールホテル成田 |
| 2018年〜 | ウェルコホテルズ/同じ | ウェルコホテルズ | ホテルウェルコ成田 |
コンビニで例えると分かりやすいかもしれません。
コンビニには、建物の大家さん、お店を回す店長、そして本部の看板があります。
メルキュール時代のこのホテルは、この3つがすべて別々でした。
まず大家さんは、2002年の競売でこのホテルを安く手に入れた外資系のファンドです。
ファンドの仕事は、買ったものの価値を上げて、高く売ることです。
ホテルの運営は専門外なので
運営はホテル運営の会社(ソラーレ)に任せ
看板は世界的なホテルチェーンのアコーから「メルキュール」を借りました。
海外からのお客さんや航空会社のクルーにとっては、知らない名前より世界のブランドの方が選びやすい。
看板代を払ってでも、その方が稼げるという判断だったのでしょう。
2005年からは「信託」という形に変わります。
建物と土地の名義を信託銀行に預けて
ファンドは「このホテルから出る利益を受け取る権利(受益権)」だけを持つ形です。
銀行に権利書を預けて、預かり証だけを手元に持っているイメージでしょうか。
なぜ、わざわざそんな形にするのか。
一番の理由は、売りやすさです。
不動産そのものを売ると、そのたびに登記を書き換え、高い税金がかかります。
預かり証(受益権)を売るだけなら、名義は信託銀行のまま。
手続きも税金も、ずっと軽く済みます。
いつか物件を売って利益を出すことが前提のファンドにとって、出口を作りやすい形なんです。
お金の流れは、ざっくり言うとこうなります。
(契約の中身は公開されていないので、ここは一般的な形での説明です)
お客さんが払った宿泊代は、まず運営側に入ります。
運営側はそこから、家賃を信託銀行に払います。
信託銀行は手数料を引いて、残りを持ち主(受益権を持つ会社)に渡します。
運営側からは、運営会社への手数料と、アコーへの看板代も出ていきます。
転機は2012年2月1日。
ファンドが持っていた受益権(預かり証)を、芝山町の地元企業が買い取ります。
同じ日に、2003年からあった別の会社が「大清ホテルズ」に名前を変えています。
これがいまのウェルコホテルズで、地元企業と同じグループの会社とみられます。
ここが分かりにくいところなのですが
名義は信託銀行のままなので、登記の持ち主の欄だけを見ても、持ち主が変わったようには見えません。
実際の持ち主が変わったことは、登記の「信託目録」という別の欄にだけ書かれています。
2013年7月には運営も自分たちに切り替えます。
2018年6月末でアコーとの提携を終え7月1日に「ホテルウェルコ成田」へ。
同じ年の10月には信託を解いて名義も自分たちのものになりました。
持ち主、運営、看板。
2003年からバラバラだった3つが、約15年ぶりに1つの会社にそろったわけです。
最初に実質の持ち主になり、次に運営、最後に名義と看板。
時間を掛けて一つずつ自分たちのものにしていったわけですね。
いまの持ち主のグループは空港の近くで通関や物流も手がけている地元のイケている企業です。
| 年 | 看板 | 名義上の持ち主 |
|---|---|---|
| 1984年 | ホテルレッツ成田 | 大都高層開発 |
| 2002年 | (営業終了) | 米国の会社(競売で落札) |
| 2003年 | メルキュールホテル成田 | 米国の会社 |
| 2005年〜 | メルキュールホテル成田 | 信託銀行(新生信託銀行→三菱UFJ信託銀行) |
| 2018年 | ホテルウェルコ成田 | 大清ホテルズ(同年12月にウェルコホテルズへ商号変更) |

東京の会社が生み出した空港のクルーで稼いだホテルが
空港の物流で稼ぐ地元の会社の手に戻った。
お金の出どころも生命保険会社から外資ファンド
そして地元の信用金庫へと、ぐるっと回って地元へ戻ってきました。

紆余曲折ありましたがなんだかんだ現在はちゃんと営業していることが街の為にもなっているのではないでしょうか。仮にこのホテルが廃墟になってしまったら成田駅前の街の景観のイメージはかなり暗くなってしまいます。ありがとうウェルコホテル。
2026年10月、最上階のダブルに泊まってみた
ここからは実際に泊まってみた記録です。
1か月ほど前に電話で予約し
「最上階で、駅前とスカイタウン側が見える部屋を」とお願いしていたのですが
どうやら一番いい部屋を用意してくださったようです。
本当にありがとうございます。
料金は約7,000円。
日や曜日で変わりますがちゃんと日付を選べばかなりリーズナブルに泊まれます。
チェックインは14時からできるのですが当日は仕事が押してしまい
ホテルに着いたのは18時前。
名前を伝えるだけで手続きはとてもスムーズでした。






ロビーは石の床に赤いじゅうたん、シャンデリア。
ゴールデンエイジ事業用物件のバイブスが、ほぼそのまま残っています。
完璧です。なんて美しいのだろう。
ホテルというのは単なる宿泊施設ではなく空間を楽しむものでもあるかと思います。

とっても余談ですがどことなくPS1のタイムクライシス(スペシャルモード)のホテルを思いだしますね。
マニアックすぎてすみません。

エレベーターで最上階の11階へ向かいます。





待ちに待ったお部屋です。
今回は最上階の部屋がよかったのでダブルのお部屋。
部屋は普通のホテルの部屋です。
特に不具合もなく快適に過ごすことができました。




ダブルの部屋なので、パジャマは2人分用意されています。
今回泊まったのは私一人です。
本当は昼から早く来て色々とやりたかったのですが
チェックインも遅くなり翌日も早かった為
22時ごろには二人用のベッドで一人寂しく寝てしまいました。
続きは次回に持ち越したいと思います。
何をとは申し上げません。
そしてベッドの上の額です。

「女は天使だが、結婚は悪魔だ」。
英語の一文まで添えられています。
ダブルで泊まる部屋に掛けるには、なかなか洒落が効いています。
独身の私からすると女性は天使という部分しか実体験が無いため
悪魔の部分をご存じの方はお知らせください。





アイロンとアイロン台もあったので
ビジネスで泊まる方にも使いやすいと思います。
ルームサービスは、私が探した限りでは見当たりませんでした。
枕元の操作パネルは
照明もエアコンも時計もここで操作する昔ながらのタイプ。
これこれ、たまりませんね。
ひとつだけ気になったのは
お風呂場の方からずっと水が流れるような音がしていたこと。
水道管を水が通る音でしょうか。
年季の入った建物ならではなのかもしれません。
部屋に置かれた案内のファイルも開いてみました。
このファイルを開けてちゃんと読むのは恐らく私くらいではないでしょうか。




内容はかなり一般的でよくある賃貸契約書の長々と書いてあるほぼ誰も読まない部分に似ています。
英語の約款には「Mercure Hotel Narita」の文字。
名前が変わってから8年。
紙の中では、まだメルキュールが生きていました。
名残を見つけることが出来て嬉しいですね。
そして今回の本題、景色です。





窓の角までガラスで、眼下には駅前のロータリーとバス乗り場。
ロータリーの真ん中に残る木の存在感もよく分かります。
左手にはスカイタウン成田のタワーがそびえています。
窓からは花崎町、成田山の方、新町、ニュータウンの方まで一望できます。
成田駅はそもそも高台にあるので
ニュータウンなどよりさらに高い位置から街を見下ろす形になります。
この辺りでは、スカイタウン以外で一番景色がいい場所なのではないでしょうか。

廊下の窓から真下を見下ろすと、先日記事にした元りそな銀行のビルも見えます。

日が暮れていくと、景色はまた別の顔になります。



美しいの一言ですね。にゃんにゃんタイムにはもってこいの場所なのではないでしょうか。
また月30万円ほど払えば毎日ホテル暮らしも夢ではないので意外に悪くない選択肢かもしれません。
掃除等もやって頂けますしね。お金をたくさん稼いで自分の好きなスタイルで生きていきたいですね。
私が花崎町に越してきた2021年コロナ禍真っ只中
このホテルは本当にガラガラだったイメージがあります。
中国の兼ね合いで若干減りましたが今ではすごい人で賑わっています。
別館も含めて連日多くのお客さんが入っているイメージです。
インバウンドの勢いで、V字回復しているのではないでしょうか。

地元に住んでいると、地元のホテルに泊まる機会はほとんどありません。ただ一度泊まってみると、毎日見ている駅前が全く違う街に見えます。成田の方にこそおすすめしたい遊び方です。あなたも気になる子と駅前で遊んでそのままウェルコにイン出来たら最高なのではないでしょうか。その時は成田市民ブログに書いてあったんだぜ、と得意げに披露してもらえれば彼女の困惑する顔が浮かびます。
屋上に残るいまは使われていない開閉式プール

別館の屋上に載っているアーチ形のガラスの屋根。
これが1987年9月に完成した開閉式の屋上プールです。
先ほどの1989年の空中写真で、水色に光っていたのもこの屋根です。
完成当時の写真がこちらです。

駅前のビルの屋上にヤシとデッキチェア。
スカーフェイスのトニー・モンタナがプールサイドにいても違和感がない光景です。
しかも上が開きます、それこそ成田の街が一望できる。
なんてロマンティックなんでしょう、ドリームコアではありませんが夢に出てきそうな空間です。
このシステムを開発した横河橋梁の技報(1989年)を調べてみると
プールは18m×7m。
屋根は幅16.5m、長さ20m、高さ5.9m。
4つに分けた屋根のうち真ん中の2つが左右に滑って開き
冬は閉じて一年中泳げる造りでした。
鉄骨だけで54トンです。

当時の雑誌の連載にも、このプールが「開閉式で開放感あふれるプールづくり」として紹介されています。
屋根を動かすモーターは鉄骨のフレームに組み込み
レールの溝にはカバーを付けて、素足でも危なくないようにしていたそうです。
1992年の業界誌にも「開閉式プールが人気」とあります。
安全上の問題でしょうか。
今ではこの空間が開いている日を見たことが無く
プール自体も廃止されてしまっているようです。
上階にこれだけの水を上げ保全するコストというのは莫大になるのではないでしょうか。
ウェルコさん
もしこの記事を見ていたらぜひこの空間を見させていただけたら嬉しいです。

もし当時このプールやスポーツクラブに通っていた方がいらっしゃれば
いつごろまで泳げたのか、どんな雰囲気だったのかを教えていただけますと幸いです。
人の記憶はもろく、場所が消えれば思い出せなくなってしまいます。
だからこそ、このインターネット上にビジュアルとしてアーカイブしていきたいと思います。

成田駅前の屋上に冬でも泳げるプールがあった。私はその時代を知りませんが、想像するだけで80年代の空気感を感じます。このプールサイドで素敵な女性と過ごせたらもう人生の目的はほとんど果たしたようなものかもしれません。
まとめ|空港とともに浮き沈みした駅前のホテル
以上が、ホテルウェルコ成田の40年になります。
建物は40年同じ場所に立ち続け
そのあいだに名義上の持ち主は5者、看板は3つ入れ替わりました。
最初の会社もいまの会社も本店をこの建物に置いています。

空港が伸びると信じて建てられ、空港とともに浮き沈みしてきた建物。
空港というのは莫大な経済効果をもたらしますが
思うように計画が行かなかったり、状況が変わると巨大な投資は急にリスクに変貌します。
個人的には駅前では一番「成田らしい」ホテルと言っても過言ではないのではないでしょうか。
最上階から見下ろした駅前もいつかは姿を変えます。
この建物もまだまだ使えるとは思いますが
所有者の意思で建て替えが起きることもおかしくありません。
いまのこの景色はいまこの瞬間しか見られません。
地元の方こそ一度泊まってみてくださいね。
少しでも2020年代の成田のリアルな姿を残すことが出来れば幸いです。
本日もありがとうございました。
駅前の歴史については、こちらの記事もぜひご一読ください。


参考資料
| 種別 | 資料 |
|---|---|
| 登記 | 不動産登記事項証明書(花崎町818番1・818番2・818番3・820番7の土地、818番1・818番3・820番6の建物、818番4の閉鎖登記簿、吉倉241番1の建物)、建物図面・各階平面図(818番3・820番6)、法人登記 |
| 年鑑 | 『日本ホテル年鑑 1985年版 東日本編』オータパブリケイションズ、1985年1月 |
| 社史・技報 | 『大林組百年史 1892-1991』大林組、1993年/『横河橋梁技報』(18) 横河橋梁製作所、1989年1月 |
| 雑誌 | 連載「屋上空間をスポーツ施設に⑤」横河橋梁製作所/ホテルレッツ成田ANNEXプール(掲載誌・号は確認中) |
| 業界誌 | 『月刊ホテル旅館』1992年7月号「注目3都市 ホテル勢力図の近未来を探る」(国立国会図書館) |
| バス | 『日本のバスカラー名鑑 路線バス編』日本バス友の会、ジェイバス、1994年12月 |
| 写真 | 「成田鉄道㈱本社(大正9年9月)」(掲載書は確認中) |
| 研究 | 筑波大学『地域研究年報』32「成田空港周辺におけるインバウンド観光の地域特性」2010年/ニッセイ基礎研究所の資料 |
| 空中写真 | 国土地理院撮影の空中写真(1979年・1983年・1986年・1989年撮影) |
| そのほか | Wikipedia「ホテルウェルコ成田」「成田鉄道」、住宅地図(昭和42・52・59年)、宿泊予約サイトの施設情報(2026年10月確認)、2026年10月の宿泊取材 |


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