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【成田・本町】成田の人もほとんど知らない聖地「神明山」の歴史と謎・成田山新勝寺との関係

みなさんこんにちは。

行ったことありますでしょうか。

成田市民です。

 

成田山新勝寺の目の前は小高い山となっており

神明山(しんめやま)と呼ばれております。

地元成田の方でもご存じの方は少ないのではないでしょうか。

1. 神明山とはどんな場所か
目次

1. 神明山とはどんな場所か

神明山の石碑が竹林の中に立っている風景
住宅地の道路の風景で、白い車と駐車用コーンが見える。奥にはピンクの建物があり、その周りには緑がある。

解説

  • 神明山は成田市仲町の参道脇の崖に位置する「聖地」。地元の方でも知らない方が多く情報もあまりオープンではない場所です。
  • 山全体が聖域となっておりストリートビューも存在せず見落としてしまいそうな細道から山道へ入っていきます。
  • 登記記録によると、この土地は成田山新勝寺が所有する境外地に当たります。インターネット上での言及はほぼ皆無で、知名度は極めて低い「知られざる聖地」です。

Google Earth上でも市街地に取り残された山のような状況となり現地に行かないと何がそこにあるか全然見えません。

成田市民的視点
まず観光客は来ないような場所で、成田に住んでいる方でもご存じの方は少数かと思います。山自体は定期的に手入れがされているようですが、ほとんど人が来ないのか神秘的かつ賑やかな参道の裏とは思えない程静かで、一人だとちょっと怖さを感じるかもしれません。祠のある高台へ向かって階段を上がると徐々に俗世から離れていくような感覚を覚えます。この場所は地元のOGの方に教えてもらい初めて知りました。
2. 神明山に今も宿る神とは?

2. 神明山に今も宿る神とは?

緑に囲まれた小さな祠がある風景。手前には舗装された道があり、背後には高い草や樹木が見える。周囲にはフェンスが設置され、奥には建物の一部が見える。

解説

  • 現地の「地蔵堂」解説板(平成24年1月設置※)によれば、この堂の本尊はもと「将軍地蔵」甲冑に身を固め、馬に乗った珍しい形態の地蔵菩薩です。将軍地蔵は全国の愛宕信仰と深く結びついており、火伏せ(火災除け)で知られます。時期は不明ですが神明山の地蔵堂も愛宕神社の信仰と習合し、「火伏せの神様」として地元の人々に拝まれてきました。
  • 毎年11月24日には仲町の男衆の手によって祭礼が執り行われてきたと記されており、目立つことはありませんが単なる無人の祠ではなく、生きた民間信仰の場として機能していています。
  • 仲町周辺は成田参道の崖下に建物が密集する地区で、前後に建物が連なる構造上、火災が起きれば延焼が防ぎにくい場所であり、その崖の上に火伏せの神を祀る神明山が鎮座しているという配置は偶然ではなく、古くから地域の人々が火難から身を守るために意識的にこの山を聖地と定めてきた可能性が高いのではないでしょうか。

※下記に現地に設置されている看板の内容をそのまま書き写しました。

地蔵堂

地蔵堂のある愛宕山は、その昔、新勝寺が現在地に不動明王を奉安する前の遷座地であるところから、古境内、向坊とも呼ばれています。里人たちは、このお堂を愛宕様と呼んでいます。

この地蔵堂は、新勝寺の境外仏堂であり、将軍地蔵を本尊としています。もともと将軍地蔵というのは、地蔵菩薩の一つで、獅子冠をいただき、甲冑に身を固めて、三叉戟か剣を持ち、馬に乗った像容をしているのですが、この地蔵堂には仏像は安置されていません。しかし、毎年十一月二十四日の祭礼には、新勝寺から御神体が届き、仲町の男衆の手によってお祭りが挙行されます。

将軍地蔵は、愛宕神社の守り本尊であることから、いつの頃からか、愛宕神社の火結神と将軍地蔵尊が習合し、神・仏が混交して火伏せの神様(火災除けの神様)として、今なお、人々の信仰を集めています。

平成二十四年十一月吉日

成田市民的視点
成田山の御本尊がこの場所に移動してくる前も、移動した後もこの場所は地域の人にとって大切な意味を持つ場所として保全管理されてきました。この場所が公になっていないのは自分たちの大切な場所に触れられたくないという一面もあるかもしれません。
3. なぜ成田山の本尊はここにあったのか?

3. なぜ成田山の本尊はここにあったのか?

静かな町並みと神社を背景にした風景。曇り空の下、多くの建物がひしめき合っている。

解説

  • 現地の解説板にはこの地が「古境・向坊」と呼ばれ、成田山新勝寺が現在地に不動明王を奉安する以前の場所として使われていたことが書かれております。過去に記事にしましたが成田山の歴史として今の並木町あたりから始まっておりその後に米屋さんの裏庭、そしてこの神明山、その後に今の成田山の場所に御本尊である不動明王像が移動しています。
  • 地蔵堂は「新勝寺境内の仏堂」と明記されており、将軍地蔵を本尊とする堂が成田山の管理下に置かれてきました。現在の成田山境内から目と鼻の先にあるこの崖の上に、かつては本尊を仮安置する向坊が存在し、それが後に地蔵堂として残り、将軍地蔵信仰・愛宕信仰とミックスしながら火伏せの聖地へと変貌を遂げたと考えられるのではないでしょうか。
  • 神明山の頂部からは現在の成田山の場所が見下ろせます。今の成田山の場所は寺台城の主である海保甲斐守三吉(かいほ かいのかみ さんきち)から寄進されました。
成田市民的視点
一時的に成田山の御本尊がこの場所に移動して来ました。成田山は最初から現在の場所ではなく世の中の変化を行き抜き、今のような巨大な力を手に入れました。今の場所に寺が形成されていく様子をこの神明山から眺めていたと思うとロマンチックですね。
4. 仲町の構造について

4. 仲町の構造について

住宅地と緑地帯を俯瞰した aerial view の画像。赤い円で囲まれた区域と、黄色い円で示された特定の位置が含まれている。

※黄色丸が神明山の祠がある場所で、赤丸が仲町の奥側となります。

神明山までの表参道側からの別ルート、現在は封鎖されています。そもそも草木が元気すぎて物理的に進むのが厳しいです。

解説

  • 仲町(仲之町)は山、崖の麓に密集している構造となり、表参道側から見えるのは全体のほんの一部。裏側や上から見ると長屋や増築、または奥に別の建物が存在する構造であることが伺えます。
  • 毎日のように活気があふれている成田の表参道、特に仲町の坂では商売を止めるわけにいかず、奥側に存在する建物を解体したくても手前の建物で重機が入らないという構造になってしまっている一面もあるかと思います。
  • このようにして現在も多くの建物が仲町に密集している状況となります。
成田市民的視点
参道側からは見えませんが仲町(仲之町)の裏に入ると、奥側に古い建物が残っていているケースがございます。仮に奥にある古い建物を壊したくても、前の建物を壊さないと裏の建物に工事車両が入れない、そのような構造となり奥に古い建物が残っていてもなかなか手を付けることが出来ない、これがこの街の物理的な構造なのはないでしょうか。神明山が火災から守ってくれているという考え方もできるかもしれません。
5. まとめ

5. まとめ

以上が神明山に関する記事となりました。

昔から地域の人には聖地として扱われ

成田山の御本尊が一時的に移動し、

そして御本尊が今の成田山へ移動した今もこの場所は聖地として大切にされています。

 

この神明山についてはほとんどインターネット上情報がなく、

現地の情報をこのようにインターネット上にアーカイブとして残り

2020年代の成田の一次記録になれば幸いです。

本日もありがとうございました。

 

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