みなさんこんにちは。
通り過ぎておりますでしょうか。
成田市民です。
成田市加良部五丁目に
成田第三住宅という
2階建てのテラスハウス型の団地が存在します。
団地と聞くと4~5階建て
大きなところだとそれ以上の規模のイメージになりテラスハウス型ってあまり見かけない気がします。
ずっと気になっていたのですがGoogle Mapでも詳細が分からない為
今回、土地建物の所有者やなぜその団地が存在するのかも含め解説したいと思います。
成田第三住宅


※Google Earthより引用
緑色の屋根の建物群がお分かりになるかと思います。
今回は手前の低層階の団地のお話です。
モスバーガー成田飯田町店側です。
成田にお住まいの方もこんな団地あったっけ?
という方も多いのではないでしょうか。
横を通ってもあまり目につくことが無いのには理由があります。


現地の様子
左手は今回の団地側、右手側がイタリアンのチャップリンさん側です。
見ての通り徒歩や車の目線でも視界に入らないようになっています。
車の騒音であったり住民の方のプライバシー配慮の為でしょうか。
あえて目につかないようにされている印象です。
比較的壁も新しく思えます。


壁で隠されている団地はここだけのようで隣は普通のフェンスです。

フェンスの切れ目から見てみるとまるで二つの世界に分かれているような状況です。
次項は団地内の様子をご紹介します。

私も人に教えてもらって初めて存在を知りました。車を運転してたらなおさら目に入りませんよね。興味を引く建物や土地は一回気になると好奇心で寝れなくなります。不動産屋の性なのでしょうか。
この場所の近隣の記事はこちらからもご覧いただけます。



現地の様子

いくつか入口があるのですが
道路との間の壁には切れ目がありそこから団地の建物達が見えます。










ほとんどの部屋が空き部屋になっており
団地内では静かな空気が流れます。
なぜ人がほとんどいなくなってしまったのかを解説して参ります。

団地側からも道路が見えないようになっており、別世界に来たような感覚を覚えます。不思議と懐かしい気分になりますね。また団地側からはすいえいかん成田校が見えます。通っていた方も多いのではないでしょうか。


とてもいいバイブスの為また別で特集したいと思います。余談が過ぎましたすみません。
土地建物の持ち主は誰か


全国地番マップで土地の番号を検索すると
成田市加良部5丁目1-1
登記を取ると24014.88㎡と広大な土地が一筆で登記されておりました。
所有者は千葉県
平たく言うとチーバ君が所有しているということになりますね。
昭和48年(1973年)に新住宅市街地開発法により造成され生まれた土地です。
現在の成田ニュータウンが生まれた時代と一致します。
下記は国土地理院の空中写真となります。
成田空港建設に伴う人口増加に対応するため成田ニュータウンが生まれました。
赤丸が今回の団地の場所。


1968年に事業に着手し
1971年には中台地区での国土交通省関係の公務員住宅での入居が開始されております。
かなりのハイペースでの開発となり
高度経済成長期へ向かう当時の日本の勢いを感じます。


昭和46年(1971年)当時作成された成田ニュータウンの構想です。
今の成田ニュータウンもデザインされた上で生まれました。
ここまで大規模なデザインができてしまうことが人間の想像力の可能性を感じますね。

ちなみに1947年の成田ニュータウン全域の航空写真ですが
どこがどこだか分かりませんね。
右側が駅です。
この状態から今の成田ニュータウンに変貌を遂げました。
空港がもたらす効果というのは良くも悪くも計り知れません。
建物に関しては登記が見つかりませんでした。
県営住宅ですので所有者は千葉県になるかと思いますが
登記が無い理由として
そもそも法律で地方公共団体の所有する建物は申請義務から外れます。
また、登記は土地建物関係で誰かと揉めた時に有効な証拠になりますが
誰かが県営団地を不法占拠して国と揉めるというシナリオはあまり一般的ではなく登記の必要も無いのでしょう。

当時の住宅地図を基に名前を調べていくと
この団地が生まれた当初は
“加良部県営住宅”という名称
80年代に入ると”加良部五丁目 成田県営第3住宅”という名称に変更されております。


令和7年の千葉県県土整備部都市整備局住宅課が発表している中にも記載があり
成田第三 用途廃止
すでに廃止の為、新規の募集も行われていないように見受けられます。


各部屋に庭が付いている珍しいタイプの団地ですが
空き部屋の区画の草木が伸び巨大な庭が生まれている光景も。


夢の中で見たことあるような光景です。私自身も幼少期団地のような場所に住んでいたことがありその影響なのかもしれません。この場所も静かに次の時代の流れを待っているように思えます。
成田ニュータウン付近の開発に関しては下記記事でも触れておりますので是非ご参照ください。



6. なぜ5階建てではなく2階建てを選んだのか

ここからは構造とお金の話です。
戦後の日本の団地は、5階建てが標準になりました。
理由をエレベーターで説明する話をよく見かけますが、法律を読むと少しずれます。
建築基準法には「何階建て以上ならエレベーターを設置しなさい」という階数の規定がありません。
あるのは高さの規定です。
高さが31メートルを超える建築物には非常用の昇降機を設けなければなりません。
31メートルというのは、住宅なら8階くらいの高さになるのではないでしょうか。
つまり5階建てにエレベーターを付ける法律上の義務はありません。
義務が無いから付けなかった。
付けなければ工事費も、その後の点検費と電気代も要りません。
階段室型という階段を上って左右の住戸に入る形にすれば、廊下すら要りません。
5階建ての階段室型の団地が日本に多いのはコストが低くしつつ最大の効果を得る手段でした。
また他の県営住宅は5階建て(耐火・70年)で建築されましたが
成田第三だけは空港建設の怒涛の人口増加に間に合わせるため
安く早く建つ2階建て(準耐火・45年)で建築されたのではないでしょうか。

隣の五階建ての団地は成田第二住宅となり現在の県営団地一覧にも記載がございますが
今回見に来た成田第三は消されています。
なぜか成田第三は用途廃止になったのか。
耐用年数が45年か、70年か
選ばれていたのは、高さではなく構造のほうです。
公営住宅には、構造ごとに耐用年限が決まっています。
公営住宅法施行令にもとづく耐用年数は、耐火構造が70年、準耐火構造が45年です。
| 耐火構造(中層5階建て) | 耐用年限70年 |
| 準耐火構造(成田第三) | 耐用年限45年 |
| 差 | 25年 |
成田第一も、第二も、第四も、第五も、第六も、三里塚も、全部が耐火の中層です。
成田第三だけが準耐火です。25年短いほうを、ここだけ選んでいます。
なぜか。
準耐火は、耐火より安く、早く建ちます。
1972年と1973年がどういう年だったかを思い出すと選んだ理由の見当はつきます。
空港の建設地が決まったのが1966年、開港が1978年5月20日です。
成田第三が建てられたのは、その工事のまっただ中でした。
成田には空港の工事関係者、航空会社、税関、入国管理、警備、それらを支える会社の人が次々に来ることになっていました。
成田ニュータウンの計画人口6万人のうち
約2万人が空港関連企業の従業員として見込まれ
間に合わせなければならない住宅が、大量にありました。
耐用年限45年の建物を建てるということは
45年後に終わらせる前提で建てるということです。
1972年に45を足すと2017年になります。
書類の上ではこの団地の終わり方は建った年にすでに決まっていたことになります。
ただ、耐用年数が経過した翌日に解体かというわけではなく
あくまで用途廃止の目安の期間となります。
住んでる人もいますからね、後は現在住んでいる方との交渉になるのではないでしょうか。

すでにもう使いませんと千葉県の方でも判断しているので今後、この場所に人が増えることはありません。当時の怒涛の開発ラッシュの中で一刻も早く住宅を用意する必要があったのかもしれません。地価高騰の今の成田ではこの広々テラスハウス型の県営住宅を再建することは夢幻なのではないでしょうか。
まとめ

以上が成田第三の解説となります。
今後この土地がどうなるか。
用途廃止の手順によると
県庁内と成田市に活用の意向を確認し
意向が無ければ売却
そのような流れになります。
もしかしたら大型マンション等が建築される可能性も無きにしもですね。
これだけ広大で登記が綺麗な土地は多くはありません。
いずれなくなってしまう景色を瞬間瞬間大事にしていきたいですね。
本日もありがとうございました。
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