MENU
  • 地域から探す
    • 成田
    • 富里
    • 酒々井
    • 佐倉
    • 八街
    • 佐原
    • 印西
    • 安食
  • 年代から探す
    • 1930年代
    • 1950年代
    • 1960年代
    • 1970年代
    • 1980年代
    • 1990年代
    • 2000年代
    • 2010年代
    • 2020年代
  • 目的別で探す
    • ホテル
    • スーパーマーケット
    • ときめきストア探索記
    • ナイスプレイスポット
    • レストラントリップ
成田市民ブログ
  • ホーム
  • 記事一覧
  • マップから検索
  • ホーム
  • 記事一覧
  • マップから検索
成田市民ブログ
  • ホーム
  • 記事一覧
  • マップから検索
  1. ホーム
  2. 1980年代
  3. 【成田・公津の杜】消えた線路と公園に隠された秘密…京成電鉄が創った美しき街の裏側

【成田・公津の杜】消えた線路と公園に隠された秘密…京成電鉄が創った美しき街の裏側

2026 5/28
広告
1980年代 成田 公津の杜
May 28, 2026

みなさんこんにちは。

変わったのをご存知でしょうか。

成田市民です。

 

千葉県成田市には

公津の杜(こうづのもり)という

成田エリアの中でも綺麗で閑静なエリアがございます。

治安も良い方なのではないでしょうか。

私も一つ部屋が欲しいくらいナイスロケーションで

街の雰囲気もきれいに整備されておりGoodです。

みなさん意外にご存知無いのですがこの街は

成田市公津東土地区画整理組合および京成電鉄

この二者が主体になり開発されました。

成田市じゃないんだという感じですよね。

公津の杜はみんな大好き京成電鉄が生み出したと言っても過言ではありません。

なぜ京成電鉄が関わったか、どのように街が変わったかについて本日は記事をまとめたいと思います。

この記事の目次

1. 公津の杜と京成電鉄の関係 2. 公津の杜から消えた線路の行方とは? 3. 公津の杜公園が存在する理由とは? 4. なぜ京成電鉄が開発したのか? 5. まとめ
公津の杜と京成電鉄の関係

公津の杜と京成電鉄の関係

記念碑がある公園の風景、青空と緑の木々に囲まれた石のモニュメント
黒い石板に刻まれた記念碑の文字が写っている。文字は日本語で、歴史や地域についての解説を含む内容である。
地図の上に描かれた住宅エリアの概要。いくつかの地域がオレンジ色で塗られ、道路網や数字で区分けされている。
古い地図の画像。地形や道路が描かれており、色あせた部分が目立つ。

開発前の公津の杜と開発後の様子。大規模に開発された様子が伺えます。

  • 「公津の杜」は成田市の公津東地区に位置する計画的住宅街で、1978年(昭和53年)の成田空港開港を前後して、成田市公津東土地区画整理組合と京成電鉄が主導して整備された街です。公津の杜公園現地に残る碑文(平成10年3月建立)には、京成電鉄の新線建設と一体となった土地区画整理事業の経緯が刻まれています。
  • 現在の整然とした街並みの場所にはもともと丘陵地・農地・雑木林が広がっており、1986年開発許可からのわずか8年の間に街が整備され1994年に公津の杜駅が開業しました。
  • もともと成田駅まで京成線が繋がっておりましたので線路自体は通っておりましたが、公津の杜開発の際に線路の形を大きく変更しております。
成田市民的視点
公津の杜は成田の中でもしっかりと綺麗に区画が分かれており、街もどこか新しく住居している方々の属性も良い印象が個人的にございます。私の大好きなパン屋さん(リヨン)やケーキ屋さん(クレマンティーヌ)、中華料理屋(新中華)などおいしい物の穴場でもあります。会社員時代、たまに仕事中サボってリヨンさんのベンチでパンをかじっていたのもいい思い出です。
公津の杜から消えた線路の行方とは?

公津の杜から消えた線路の行方とは?

1974年と1992年の航空写真の比較。左側は1974年の画像、右側は1992年の画像。赤い円で囲まれたエリアの変化を示している。
2026年の地域の上空写真、住宅地や商業施設が広がっている。
  • 添付1974年と1992年の航空写真の比較をご覧いただくとお分かりになるかと思いますが、かつての京成電鉄本線は、地形に沿ってS字状にカーブしており、急曲線のためスピードが大幅に制限されていました。成田空港への旅客需要が急増し、スカイライナーの高速化・定時性・安全性の向上が急務となったことで、直線化のための線路付け替え工事が計画されました。
  • この線路の付け変え、同時に計画された公津の杜エリアの開発を同時に行うことにより一体感があり合理的な街の開発がされるようになりました。
  • 当時S字カーブだった場所は現在の公津の杜公園の場所となり、地形を生かして山林や田んぼだった場所を公園および貯水池として現在は利用されております。
成田市民的視点
今の線路になる前は全然違う形の線路となり、航空写真をよく見てみると現在の公津の杜駅やユアエルムの場所は普通に木々が生い茂り、畑がある個人所有の土地でした。過去に線路を通した際はそこを避けるように線路が通っておりましたが、一帯を開発する際にこの線路だとカーブがきつくて電車のスピードが出せないからいっそ真っ直ぐ変えてしまおうという人間の爆発的なアイデアが個人的に好きですね。
公津の杜公園が存在する理由とは?

公津の杜公園が存在する理由とは?

広い芝生の公園にある遊具と木々の風景
緑豊かな公園の風景、下方に小道とバラの花、奥にはテニスコートと一部の建物が見える
川の近くに設置された禁止標識があり、水に入ってはいけないことを警告している。背景には緑豊かな景色と雲が広がっている。
緑豊かな公園の広場に子供用の滑り台がある景色。空には雲が広がっている。
広々とした公園の風景、緑の芝生と山々が見える。散歩道があり、周囲には木々や施設が点在している。
緑の植栽が並ぶ歩道と静かな住宅街の風景
公園の入口にあるバリアと案内板が見える風景。周囲には緑の木々があり、雲の多い空が広がっている。
緑豊かな森林の近くの道路の分岐点の風景。左側にはコンクリートの壁があり、右側にはフェンスがあります。
田舎の風景に沿った道路と緑豊かな山々が見える静かな湖の近くの風景です。
緑の丘と草花に囲まれた石造りの壁とトンネルの入口がある風景
草に囲まれた暗い穴があるコンクリートの壁。壁には、入ることが禁止されていることを示す看板がかかっている。
公園の斜面を下りる道と池が見える風景。周囲には緑豊かな木々があり、曇り空が広がる。
緑豊かな河川と周囲の草地、背景にアパートが見える風景
砂の上にある緑色の壁に番号が書かれたスポーツフィールド。1から8までの数字が表示されている。
緑豊かな風景の中にある暗いトンネルの入り口と周囲の植物
公津の杜公園の案内看板と池の景色。池の周囲には黄色い花が咲いており、緑豊かな木々が背景に広がっています。
公園の入り口の風景で、緑の草が生い茂り、フェンスで囲まれた道が見える。液体のある場所と木々が背景にあり、標識が立っている。
緑の丘と高木がある風景。曇り空が広がっている。
  • 公津の杜公園は一見すると「広い芝生と池がある憩いの場」ですが実態は成田市が整備した「雨水調整池」です。これは大雨が降った際の水の逃がし先になります。以前空港開発の記事でも言及しておりますが、広大な面積をアスファルトで埋めてしまうと雨の際に水の逃げ場が無くなり街が大変なことになります。
  • 公園の低地部には太いパイプや大型の暗渠(あんきょ)が口を開けており、これを通じて街に降り注いだ水が集められます。
  • 区画整理事業で大規模な宅地造成が行われると、地面の保水力が低下し洪水リスクが高まります。公津の杜では、その対策として公園と調整池を一体設計することで、降雨時の一時貯留機能を街の中心部に組みました。
池と緑の草地が広がる風景。白いフェンスに「この場所は調整池があります」や「大雨時は立ち入らないでください」と書かれた看板が見える。
大雨時に入ってはいけない場所を警告する看板。イラストとして水に溺れる少年が描かれている。

池の部分はもちろん、公園の大半の部分が深く掘られておりこの巨大な空間に水を貯められるようになっております。

その為、グラウンドに降りる階段の前や貯水池と高さがほぼ一緒の第二駐車場は大雨時立入禁止になります。

水というのは量が集まると人間の命を簡単に奪います。

住宅地と公園が広がる地域の俯瞰図

公園をGoogle Earthの立体モデルで見ると池が溢れても最悪グラウンド部分で貯水できるような仕組みです。

調整池とは何か現在工事が進んでいる成田空港B滑走路延長の記事で

現地の写真も含め深く解説しておりますでのこちらもぜひ。

成田空港周辺の大規模な土木工事現場の風景。丘陵地帯が削られ、工事用のフェンスが設置されている。
成田市民的視点
公津の杜公園のグラウンドをよく見ると意図的にその階層が低く作られており、看板が示す通り確かにとてつもない大雨が降ったらグラウンドのあたりまで水位が上がってもおかしくないですね。 余談ですが昔付き合ってた子とその辺でもらってきた段ボールをソリにして斜面を滑って遊んだのもいい思い出です。この公園はいい斜面が多いんですよね。
なぜ京成電鉄が開発したのか?

なぜ京成電鉄が開発したのか?

地域の計画図、周辺の地形や道路のレイアウトが示されています。色分けされた区域が配置されており、各区域の異なる用途が示されています。
  • 1978年の成田空港開港が確定すると、周辺地域では民間業者による乱開発の懸念が高まりました。これを防ぐため、成田市公津東土地区画整理組合と京成電鉄が連携し、計画的なまちづくりを行いました。当時市はニュータウンの開発もあり、すでに京成線が通っている公津の杜については京成電鉄が主導になることで市としての負担の軽減、事の進みやすさがあったのかと思います。
  • 事業がスムーズに進んだ背景には、開発対象地が比較的地権者の数の少ない農地・山林地帯であったこともあり、権利関係の複雑な市街地と異なり、地権者間の合意形成が図りやすく、大規模な換地処分を短期間で実現できました。また、市の区画整理事業ではない為、土地も買い上げや収容という形ではなく、元々持っていた人たちがそのまま綺麗に整備された土地を使えたり、地主側としてもメリットが存在したのかと思います。
  • その結果として誕生した公津の杜は、治安の良さと生活利便性の高さから人気の住宅地となり、現在も成田市内で地価が高水準を維持・上昇傾向にある希少なエリアとなっております。過去に土地を買っていたら今ごろ嬉しい価格になっているのではないでしょうか。計画的な街づくりへの投資が、数十年後の地価と住環境という形で住民に還元されている好例と言えるのではないでしょうか。
成田市民的視点
成田の中でも高級住宅地なイメージがある公津の杜は京成電鉄の計画的かつ一体感のまちづくりのおかげで成り立っているのではないでしょうか。空港ができた当時、空港に伴う経済効果に多くの会社や団体や様々な思惑を持つ大人達が便乗を計りました。自分たちの利益のことしか考えていない民間業者に勝手に乱開発をされてしまうとめちゃくちゃな形の街になります。美しい公津の杜を作ってくれてありがとう京成電鉄。
まとめ

まとめ

石碑に刻まれた日本語の文章。歴史や人物に関する情報が記載されています。

公津の杜という街は、成田空港の開港という国家的な転換点を背景に、京成電鉄の線路直線化工事と土地区画整理事業が一体となって生まれた、日本でも稀有な計画都市です。旧線路の跡地は緑道や公園へと姿を変え、その公園の地下には雨水調整池という治水インフラが組み込まれています。普段は子どもたちが遊ぶ芝生の広場も、大雨のときには街全体の水を受け止めるダムへと変貌するそんな二重構造が、この街の随所に隠されています。

地権者が比較的少なかったという地理的・歴史的な幸運と、乱開発を防ごうとした当時の関係者たちの強い意志が重なり、今日の「住みやすい公津の杜」が実現しました。この穏やかな街並みも誰かのおかげや犠牲の上で成り立っていることを忘れず、成田での日常を楽しんで生きたいですね。 本日もありがとうございました。

本日のヒットソング!

成田市民ブログマップ

アイコンから過去の記事へ飛ぶことができます!

↑ 気になる場所をタップして詳細をチェック ↑

関連


成田市民ブログをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

1980年代 成田 公津の杜

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

Follow @https://x.com/narita_shimin Follow Me
このシェアが誰かの人生を変えるきっかけになるかもしれません。あなたのおかげです。ありがとうございます。
  • URLをコピーしました!
  • 【成田・本町】成田の人もほとんど知らない聖地「神明山」の歴史と謎・成田山新勝寺との関係

成田市民

成田市民のアバター 成田市民

千葉県成田市花崎町在住

関連記事

  • 立場について
    March 1, 2025
  • 成田エリアについて 三里塚編
    March 4, 2025
  • 休日について
    March 6, 2025
  • 時間について
    March 6, 2025
  • 教訓について
    March 16, 2025
  • 成田市について
    April 8, 2025
  • 花見について
    April 9, 2025
  • ローソンについて
    April 12, 2025

コメント

コメントを残すコメントをキャンセル

© 成田市民ブログ

  • メニュー
  • 記事をマップから検索

成田市民ブログをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む

成田市民ブログをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む

コメントを読み込み中…