みなさんこんにちは。
変わったのをご存知でしょうか。
成田市民です。
千葉県成田市には
公津の杜(こうづのもり)という
成田エリアの中でも綺麗で閑静なエリアがございます。
治安も良い方なのではないでしょうか。
私も一つ部屋が欲しいくらいナイスロケーションで
街の雰囲気もきれいに整備されておりGoodです。
みなさん意外にご存知無いのですがこの街は
成田市公津東土地区画整理組合および京成電鉄
この二者が主体になり開発されました。
成田市じゃないんだという感じですよね。
公津の杜はみんな大好き京成電鉄が生み出したと言っても過言ではありません。
なぜ京成電鉄が関わったか、どのように街が変わったかについて本日は記事をまとめたいと思います。
公津の杜と京成電鉄の関係公津の杜と京成電鉄の関係




開発前の公津の杜と開発後の様子。大規模に開発された様子が伺えます。
- 「公津の杜」は成田市の公津東地区に位置する計画的住宅街で、1978年(昭和53年)の成田空港開港を前後して、成田市公津東土地区画整理組合と京成電鉄が主導して整備された街です。公津の杜公園現地に残る碑文(平成10年3月建立)には、京成電鉄の新線建設と一体となった土地区画整理事業の経緯が刻まれています。
- 現在の整然とした街並みの場所にはもともと丘陵地・農地・雑木林が広がっており、1986年開発許可からのわずか8年の間に街が整備され1994年に公津の杜駅が開業しました。
- もともと成田駅まで京成線が繋がっておりましたので線路自体は通っておりましたが、公津の杜開発の際に線路の形を大きく変更しております。
成田市民的視点
公津の杜から消えた線路の行方とは?


- 添付1974年と1992年の航空写真の比較をご覧いただくとお分かりになるかと思いますが、かつての京成電鉄本線は、地形に沿ってS字状にカーブしており、急曲線のためスピードが大幅に制限されていました。成田空港への旅客需要が急増し、スカイライナーの高速化・定時性・安全性の向上が急務となったことで、直線化のための線路付け替え工事が計画されました。
- この線路の付け変え、同時に計画された公津の杜エリアの開発を同時に行うことにより一体感があり合理的な街の開発がされるようになりました。
- 当時S字カーブだった場所は現在の公津の杜公園の場所となり、地形を生かして山林や田んぼだった場所を公園および貯水池として現在は利用されております。
成田市民的視点
公津の杜公園が存在する理由とは?


















- 公津の杜公園は一見すると「広い芝生と池がある憩いの場」ですが実態は成田市が整備した「雨水調整池」です。これは大雨が降った際の水の逃がし先になります。以前空港開発の記事でも言及しておりますが、広大な面積をアスファルトで埋めてしまうと雨の際に水の逃げ場が無くなり街が大変なことになります。
- 公園の低地部には太いパイプや大型の暗渠(あんきょ)が口を開けており、これを通じて街に降り注いだ水が集められます。
- 区画整理事業で大規模な宅地造成が行われると、地面の保水力が低下し洪水リスクが高まります。公津の杜では、その対策として公園と調整池を一体設計することで、降雨時の一時貯留機能を街の中心部に組みました。


池の部分はもちろん、公園の大半の部分が深く掘られておりこの巨大な空間に水を貯められるようになっております。
その為、グラウンドに降りる階段の前や貯水池と高さがほぼ一緒の第二駐車場は大雨時立入禁止になります。
水というのは量が集まると人間の命を簡単に奪います。

公園をGoogle Earthの立体モデルで見ると池が溢れても最悪グラウンド部分で貯水できるような仕組みです。
調整池とは何か現在工事が進んでいる成田空港B滑走路延長の記事で
現地の写真も含め深く解説しておりますでのこちらもぜひ。

成田市民的視点
なぜ京成電鉄が開発したのか?

- 1978年の成田空港開港が確定すると、周辺地域では民間業者による乱開発の懸念が高まりました。これを防ぐため、成田市公津東土地区画整理組合と京成電鉄が連携し、計画的なまちづくりを行いました。当時市はニュータウンの開発もあり、すでに京成線が通っている公津の杜については京成電鉄が主導になることで市としての負担の軽減、事の進みやすさがあったのかと思います。
- 事業がスムーズに進んだ背景には、開発対象地が比較的地権者の数の少ない農地・山林地帯であったこともあり、権利関係の複雑な市街地と異なり、地権者間の合意形成が図りやすく、大規模な換地処分を短期間で実現できました。また、市の区画整理事業ではない為、土地も買い上げや収容という形ではなく、元々持っていた人たちがそのまま綺麗に整備された土地を使えたり、地主側としてもメリットが存在したのかと思います。
- その結果として誕生した公津の杜は、治安の良さと生活利便性の高さから人気の住宅地となり、現在も成田市内で地価が高水準を維持・上昇傾向にある希少なエリアとなっております。過去に土地を買っていたら今ごろ嬉しい価格になっているのではないでしょうか。計画的な街づくりへの投資が、数十年後の地価と住環境という形で住民に還元されている好例と言えるのではないでしょうか。
成田市民的視点
まとめ

公津の杜という街は、成田空港の開港という国家的な転換点を背景に、京成電鉄の線路直線化工事と土地区画整理事業が一体となって生まれた、日本でも稀有な計画都市です。旧線路の跡地は緑道や公園へと姿を変え、その公園の地下には雨水調整池という治水インフラが組み込まれています。普段は子どもたちが遊ぶ芝生の広場も、大雨のときには街全体の水を受け止めるダムへと変貌するそんな二重構造が、この街の随所に隠されています。
地権者が比較的少なかったという地理的・歴史的な幸運と、乱開発を防ごうとした当時の関係者たちの強い意志が重なり、今日の「住みやすい公津の杜」が実現しました。この穏やかな街並みも誰かのおかげや犠牲の上で成り立っていることを忘れず、成田での日常を楽しんで生きたいですね。 本日もありがとうございました。
本日のヒットソング!
成田市民ブログをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

コメント