みなさんこんにちは。
バイブスございますでしょうか。
成田市民です。
鹿児島県の離島
徳之島という島に来ており
今回は徳之島一の繁華街
亀津(かめつ)について記事とさせていただきます。
飲食店、宿泊施設や島の中枢機能が集中しているエリアでもあり
今後、徳之島を訪れる方は一度は通るエリアになるかと思います。
離島という性質上
内地、沖縄、アジアカルチャーが混ざっており
独特な街の様子を形成しております。
今回かなりの枚数の写真を収めておりますので
2025年の徳之島、亀津エリアのリアルな様子をお楽しみいただけますと幸いです。
戦後の歴史についても解説させていただきます。
目次
亀津エリアについて
マップ上、”亀津”で絞りますと
かなりの面積の山岳部も含まれてしまいますので
下記に市街地部分のアップを掲載致します。

この場所で島内の大きな割合を占める経済活動が行われます。
ホテル等宿泊施設やお店が集中します。
この場所は元々から
多くの家屋が立ち並ぶエリアでした。
海岸沿いはフラットな地形となり
1970年代の造成工事にて生まれました。
下記が1977年と1984年の航空写真になり
比較がしやすいかと思います。

1977年 海岸部分が絶賛造成中です。

1984年、遠目になって申し訳ないのですが
海岸沿いに建物が一気に生まれていることが確認できます。
なぜこのような造成工事が行われたかは戦後の環境が関係しており次項で説明をさせていただきます。
また、徳之島自体は薩摩藩の管理下だった時代があり
鹿児島からの移住者
そして近隣の沖縄からの移住者が
この地で商売や漁業を始め
経済活性化につながった歴史があります。
島内の畜産や農業は古くからこの土地にいた人々が行い
商い関係は外から来た人々が発展させました。
※明治時代のお話ですので今となれば過去に移り住んだ人々も地元の人です。
戦後のアメリカ占領下時代 ”B円” という存在について
徳之島含む奄美群島は
戦後1945年から1953年までアメリカの占領下にありました。
場所柄、日本の本土から隔離された場所だった為
日本の一部だが完全な管理下ではない
かといって独立国家ではない
そして米軍の占領下という
特殊な状態に置かれていました。
” B円 ” という言葉をご存知でしょうか。
この占領下期間、徳之島含む奄美群島
そして沖縄で1958年まで流通していた日本で唯一の外国軍票です。

私は実物は見たことがありません。
徳之島の年配の方に話を伺うと
目を細めて懐かしいね、とおっしゃってました。
戦争実体験者も少数になりました。
1953年12月25日のクリスマス
徳之島含む奄美群島がアメリカから日本へ返還されますが
本土から物理的に隔離、離れていることで
交通、物流、市場の面で不利
社会、経済基盤が非常に脆弱であったことを受け
1954年
日本政府は “奄美群島振興開発特別措置法” を制定します。
簡単に言うと
アメリカに占領されていた期間を取り戻すべく
それぞれの諸島の経済を強くするために
港、道路、造成、建物建設に対して
補助金を出し工事を加速させました。
少し時間が掛かってしましましたが
70年代に亀津も大規模な造成が行われ
大きな平地・新たな港を生み出しました。
沖縄もそうですが
現実として日本の南の島々は戦争の影響を大きく受けています。
亀津の町並み 昭和の香りが未だに健在
実際に私が亀津を歩いて撮り溜めた写真を公開させていただきます。
非常に枚数が多くそのまま写真を全て載せますと
表示に時間がかかる端末もあるかと思いますので
テーマごとにスライドで写真を見ることが出来ます。
中には閉店してしまっているお店も含まれますが
リアルな姿としてご覧ください。
事業用物件外観 ①
ブルーシースカイビルなんてもうバイブスでしかありません。
チャウチャウという謎の看板には千葉県のあのテーマパークのキャラクターが描かれております。
事業用物件外観 ②
Drive In USAというクラブ?でしょうか。今はもう営業していないようです。
2階は現在営業されているみたいですが今回の滞在では訪問することが出来ませんでした。
事業用物件外観 ③
1984年に開業した美容室、現在は営業はされていないようです。
看板を見るとフリーダイヤルまで用意されているようでした。
事業用物件内部
空き店舗も多く新しく商売を始めたい人にとってはいい環境なのではないでしょうか。
看板系
ピーターパンとどことなくショクパンマン亜種が写っております。
個人的にはマニラとニューマイアミが気になります。
町並み
多くのコンクリート物件が立ち並びます。
南国ならではの光景ですね。
台風の影響も大きいエリアの為
殆どの建物がRC(鉄筋コンクリート造)です。
もともと想定耐用年数が50-70年であったり
RCは解体費用が高く
再建築するにも離島の為
建築費用が本土と比べ高くなってしまうこともあり
亀津には多くのいなたい建物が残っています。
日用品店、飲食店、衣料品店、スナックが多めのエリアとなり
70年代、80年代の雰囲気がまだ残っているのではないでしょうか。
70年代に造成された土地は比較的綺麗に区分けされておりますが
山側の昔からあるエリアは
都市計画法なんてものがある前から存在していた集落となり
道幅はバラバラ、おそらく私道も沢山含まれており
相続後も未登記であったり所有者不明になってしまっている土地が多々あるように思えます。
そうなると今ある建物を解体すること
再建築することが難しくなります。
この現象が現に社会問題になっています。
まとめ
亀津に滞在すれば基本的に買い物等に困ることはないかと思います。
ただ、閉店が早かったり
島内のコンビニが3件(ファミリーマート)になりますので
お買い物は日中に終わらせることをお勧めします。
ホテルや飲み屋さんも亀津に集中している為、
初めて訪れる方は亀津に宿泊されることをお勧めします。
※徳之島も場所によっては本当に夜は真っ暗で車がないとまず無理です。
星は夢かと思うほど満天ですので社会に疲れた方にお勧めです。
亀津地区のときめきストアについても記事を作成予定となります。
カルチャーが入り交じっている徳之島をぜひお楽しみいいただけますと幸いです。
本日もありがとうございました。
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コメント
コメント一覧 (2件)
[…] 前回の記事である亀津エリアについてでも写り込んでいましたが […]
[…] 先日亀津エリアでも掲載した1977年の航空写真には […]