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私たちは同じ現実を見ていない | 認識と現実について

私たちは同じ現実を見ていない | 認識と現実について


みなさんこんにちは。

あなたにとっての現実はどのようなものでしょうか。

成田市民です。

 

ほのぼの系投稿になります。

私の人生の中での最大のテーマのひとつでもある

“今目の前に広がっている現実とは何か”

“認識と現実について”

こちらについて私なりの考えをまとめたいと思います。

構成もよりブログらしく作っておりますので是非フィール頂けますと幸いです。

目次

目次

  1. はじめに
  2. 認識とは何か
  3. 現実は主観の世界
  4. 東西の哲学に見る「現実」
  5. 成田空港に見る認識の違い
  6. まとめ

1. はじめに

みなさんも生きている中で

私と相手は同じものを見ているはずなのに

なぜ違う意見になるのか。

時に分かりあい、時に対立してしまう

そのような経験があるのではないでしょうか。

 

連日成田の地で続く雨は多くの人が避けたがる事柄の一つですが

誰かにとってはその雨は必要なもの、ずっと待ちわびていたものかもしれません。

 

私達は同じ世界を生きているようで

自身が作り出す世界の中で生きています。

 

認識と現実について私の考えを皆さんと共有出来たら嬉しく思います。


2. 認識とは何か

“認識”とは

あなたの周りの外の世界をそのまま受け取るということではありません。

認識論というジャンルでは

私達は外側から入るあらゆる情報に対し下記の3つの段階を経て世界を構築していると言われています。

 

  1. 感覚の段階 五感で外部の情報を取り込む。
  2. 理解の段階 過去の経験や知識をもとに意味を与える。
  3. 判断の段階 感情や価値観を加えて自身の反応・行動へつなげる。

 

以上の3段階が連動することで

私たちは世界を理解しているように感じます。

それが”現実”の正体です。

 

現実とは、外側にある客観的なものではなく

自身の内側で3段階の工程を経て脳内で再構成された体験そのものなのです。

次はその現実についてさらに解説したいと思います。


3. 現実は主観の世界

人は自分が信じたいことを優先的に受け取ると言われており

これは心理学でいう”確証バイアス”というものです。

 

簡単に言うと自分にとって都合のいい情報を重視し

都合の悪いこと、目を背けたいものは意識しない、忘れやすい。

誰だって本能のレベルで備わっているバイアスです。

 

恋愛【現代版】で例えるならば

 

あの子からメッセージが返って来なくても

きっと忙しいからと解釈し、普通に脈なしのサインを見逃したり

 

逆に本当に死ぬほど忙しかったり

その人にトラブルが起き返信どころでなかっただけなのに

自分のことなんか全然好きじゃないんだろうなぁって

なんとなく連絡を取らなくなっちゃったり

 

別れた元カレからSNSの投稿に”いいね”がついたから

まだ気があるのではないかと解釈したりと

皆様も様々なのではないでしょうか。

 

私は恋愛下手ですので上記は全て創作になります。

何卒ご容赦をお願い申し上げます。

 

話が少しそれましたが本当のことなんか誰にも分らないし

結局、現実だと思っていたことは自身が作り出している世界であって

客観的かつ共通の事実ではありません。

それぞれが別の生き方をしています。

全く同じ生き方をし、全く同じ価値観の人間はいないはずです。

経験が変われば判断基準も変わってきます。

あなたの中で作り上げている”現実”というのは主観的なものでしかないのです。

 


4. 東西の哲学に見る「現実」

この問題に直面していたのは私だけではなかったようで調べてみると。

現実と認識の関係は古今東西、様々な思想家が追い求めてきた事柄の一つのようでした。

日常でそんなことばっかり考えてて気がふれたのではないかとふと疑う時がありますが安心します。

 

例を挙げると哲学者のカントは

 

「私たちは世界の本当の姿、物自体を知ることはできず、感覚を通して現れる現象しか知覚できない」

という結論に達しています。

私たちが見ているのは“世界そのもの”ではなく“人間の知覚が作り出した世界”です。

 

知ってる人も多い哲学者のニーチェは更に強めになり


「事実は存在しない。存在するのは解釈だけだ。」

事実というもの自体がそもそも存在せず

人の解釈の数だけ真実があるということです。

 

仏教でも

そもそも”実体”というものは存在せず

今存在するものは必ず因果があり

なにかが”ある”という状態は

複雑に絡み合った原因がその関係の中でそのように見えるだけ

そのような考え方です。

 

今も大昔も世界中で色々な考えが生まれており

これらの思想を合わせると”現実”は固定されたものではなく関係と解釈の中で常に形を変えていることが見えてきます。


5. 成田空港に見る認識の違い

当ブログらしいトピックとすれば

成田空港も一つ認識の違いの象徴ではないのでしょうか。

 

賛成派にとっては

“経済の活性化、雇用の創出”

“この成田を国際都市にする誇り”

“税収の大幅アップ”

 

反対派にとっては

“国が決めた一方的な姿勢”

“これまで苦労して開墾した土地を奪われる”

“戦争で住む場所を失いこの地が国から与えられたのにまた住む場所を奪われるのか” 

 

それぞれの解釈に現実が存在します。

成田空港の話題というのは場所によってはデリケートな一面も未だにあります。

これは事実であり今後もこの街が向き合っていく必要がある課題です。

どちらが正しいということではなく

どちらもその人達にとっての真実です。

 

6. まとめ

現実とは認識というフィルターを通し

自分自身の中で再構築されたものに過ぎない。

事実はなく真実は人の数だけ存在する。

そんなところでしょうか。

 

私が正しいと思っていることも

誰かにとってはとんでもなく大間違いだと感じるのは当たり前のことなのです。

 

私は相手から全く異なる意見が出たときにとても安心感を覚えます。

あぁ、あなたと私が見ている世界はやっぱり違うんだ、よかった。

そんな風に感じます。

男女年齢国籍問わずそれぞれの価値観が存在します。

相手の話を聞くことで

それが解釈、判断の元になり相手へ歩み寄りの姿勢を見せることが出来る。

そんな風になれたら嬉しいし社会が少し温かくなるかもしれませんね。

 

本日もありがとうございました。

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