みなさんこんにちは。
お祭りされておりますでしょうか。
成田市民です。
2025年7月3日~5日の間
成田駅前および成田山付近の広範囲に渡り成田祇園祭が開催されました。
お祭りの様子や、山車の話、一般的な祭りのお話は他のブログや、なり〇ップさん等にお任せし成田市民ブログでは別の視点から成田祇園祭を解説したいと思います。
【成田祇園祭の由来・歴史】
現代では成田山新勝寺のお祭りのイメージですが
始まりは異なったようで300年ほど前
成田駅前交番裏にございます湯殿山権現社という神社で行われていたお祭りとの記録が残っております。
花崎町という地名が生まれるずっと前から祀られておりました。
町が形成される前は駅前全体は山だったので山の頂上にあたる部分のようですね。

普段は立ち入り禁止の敷地となり地主は成田山新勝寺です。
ちなみにですが、この一帯および駅前、参道沿いには成田山新勝寺が所有する土地が多く存在します。
その土地を借りてご商売をされている方が非常に多く借地という契約になります。
成田山から土地を借りて、自分で建物を建てて、土地代を払いながら商売をしていくというやり方です。
土地はいつか返さなくてはいけません。
近年、成田山的には土地を返して欲しい方針のようで建物を一度破壊すると再建築は出来ないようです。
京成成田西口前のラーメン宮本さんがあった土地なんかはまさに成田山が所有する土地となり、駅前一等地にも関わらず有効活用がされていないことに非常に残念に思います。
成田山新勝寺には表には出てきませんが、新勝寺不動産管理会という土地や建物等の財産を管理する部署があります。
もちろんネットで調べても出てこないと思いますが、これが成田駅前の土地事情です。



宮本さんなつかしいですよね、お世話になった方も多いのではないでしょうか。
謎にトイレに行く順路の画像が残っていたので歴史歴資料として掲載します。
お話が逸れましたが権現山についてです。
成田祇園祭というのはお寺である成田山内奥之院に安置されている大日如来の為のお祭りとのことですが、権現山はそもそも神社扱いになり別物です。
もともとは権現山で行われていた祭りが、成田山新勝寺で行われる祭りと一緒になり、現在の成田山祇園会という名目での姿があります。
実際に成田山のウェブサイトを見ると”成田祇園祭”という名称ではなく”成田山祇園会”という名前になっております。
ですので初日は大日如来を乗せたお神輿が権現山で一泊します。
今でも由来を大切にされいるようです。
権現山の神様と、大日如来が1年に1度会い一晩を過ごします。なんだかロマンチックですよね。

このように祭り期間はお神輿が権現山敷地内に安置されます。
普段は入れない場所となり、まずは手を合わせに行きます。
祭り中なのですが不思議と敷地内は非常に静かで、何か抗うことのできない大きな存在に包まれるようなそんな感覚を覚えます。

普段は上記のような様子となり画像には映っておりませんが、手前には柵がある為、近付くことが出来ません。
石に刻まれた名前を見ると錚々(そうそう)たる地元の名士の方々の名前が。
祠になるので “何か” に神様が宿りそれを祀る形となりますが、この権現山の祠の中を知っている人は非常に少ないかと思います。
成田山管理になりますが成田山の方でもご存じない方は多いようです。
肝心の祠の中のお話ですが、ここで書くことは出来ない為ご興味のある方は私を見かけた際に直接聞いてみてください。
普段何気なく素通りしている道にも歴史があり理由があります。


一方、成田山新勝寺では祇園祭の3日間のみ奥之院という場所が開きます。
1枚目が入口(お寺の方がおり気まずいので遠目に撮りました)
2枚目が出口です。
入口を入ると背が高くない私でもかがむような天井の低さで、奥に進むと大日如来が鎮座しております。
まだ世の中が静かな朝6時ということもあり外の音が遮断され
無音につつまれ意識が研ぎ澄まされます。
手を合わせ
今年1年を生き延びることが出来たことに感謝します。
特に仏教徒というわけではありませんが成田にいますからね、何かこうちゃんとその辺やっておかないとな。。という勘繰りです。浅くてすみません。

普段は上の画像の通り閉まっており、特に存在をひけらかそうともしていない為、通り過ぎてしまう方も多いかと思います。
成田山新勝寺敷地内の光明堂の裏です。
ぜひ成田山にお越しの際はチェックしてみてくださいね。
帰りに敷地内の奥山広場でラムネしばくのもありですよ。

これも早朝でしたので開店前ですね。
建物も非常に古く老朽化が進んでいることもあり、今ではほとんどのお店が出てしまい空きが多いのですが、新規では賃貸契約は行いわないとの回答を以前問い合わせた際に頂いたことがあります。
DEEPランドさんという方のブログがこの奥山広場を詳しくレポートしてくださっておりましたので、詳しいお写真はぜひこちらでご確認を頂ければと思います。
奥山広場については
なぜそこで商売が出来る方々がいたのか
これからの方針について
存在した有名占い師について
書ける事、書けないことが色々ありますがまた別で記事に出来ればと思います。
いつかなくなってしまう前に皆様もぜひ味わっていただけましたら嬉しいです。

余談ですが祇園祭では上記のようにお札をセロハンテープ等でつなげ、竿についている洗濯ばさみで挟み、山車の上に乗っている方へ”おひねり”として渡します。
昔からある習慣ではなく比較的最近のようです。
お金を渡すと御礼にその町内のロゴが入った巾着を投げ渡してもらえるシステムです。


残念な事実としては治安が悪くなり街が非常に汚くなります。
喧嘩やトラブルは絶えず、ゴミは散乱
毎日トングを持ってリュックを背負って善意でゴミを拾ってくれているキクさんを思い出すと心が痛くなります。
ただ、そこで凄いのが成田です。
祭りの2日目朝
5時過ぎに家を出て参道を歩いてみると
ほとんどゴミはなく、すでにまとまっている状態。
成田市が駅から表参道周りの清掃にいかに資金を投入しているかを感じます。
一部の心無い行いを見るととても複雑な思いです。
祇園祭は成田の人にとって夏の始まりの合図のようなものです。
世界も滅びなかったことですし、輝かしい夏を思い切り楽しみたいですね。
本日もありがとうございました。
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コメント
コメント一覧 (2件)
[…] 以前、成田祇園祭の記事でも少し書かさせていただきました奥山広場について本日は書かせていただきます。 […]
[…] in my article about the Narita Gion Festival, I briefly mentioned Okuyama Square—today I’ll write a little more about […]