みなさんこんにちは。
変わり続けてますでしょうか。
成田市民です。
京成成田駅を利用した方はきっと一度は目にしたことがあるはず

こちらのテナントビル
通称 千葉交通京成成田駅前ビル
この建物は1976年(昭和51年)に大和銀行(今のりそな銀行)の成田支店のために建てられました。
りそな銀行自体は2021年に近隣に移転しており
ビルの上部には今もうっすらりそな銀行の文字が見えます。
2026年現在
1階には居酒屋が2軒
2階には24時間のジムとレストラン1軒が入っています。
単純に旧千葉交通が所有しているものと思っていましたが
過去の所有者を調べていくと単純な話ではないようで
本日はこのビルの歴史、権利関係等について解説したいと思います。
千葉交通京成成田駅前ビル 基本データ

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ビル名 | 通称 千葉交通京成成田駅前ビル |
| 場所 | 千葉県成田市花崎町816番地1 |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造、地下1階・地上3階建て |
| 延べ床面積 | 1,514.07平方メートル(約458坪) |
| 新築年月日 | 1976年(昭和51年)7月1日 |
| 建物所有者 | 京成電鉄株式会社(2025年3月31日から) |
| 土地の所有者 | 敷地の約92%が成田山新勝寺、8%が京成電鉄所有 |

銀行時代に利用された方も多いのではないでしょうか。駅前の一等地に位置する70年代の事業用物件です。巨大なコンクリの塊感がたまりませんね。京成成田駅西口は再開発がされていない為、このような物件がまだ現存している貴重なエリアです。
2026年現在|元りそな銀行は居酒屋とジム(LifeFit)に

2012年時点ではりそな銀行と2階にはレオパレスが入っていたようです。
レオパの物件は過去に色々あり、あれでしたが最近は黒字回復しているようです。
企業根性を魅せられますね。
ただ、このビルからは撤退しました。
私も不動産業界にいる為よく分かりますが
もう大きな店舗を構える時代ではないのかもしれません。
そもそも不動産会社なんか怖くて行きたくないしオンライン内見、契約で十分という方は多くいらっしゃいます。


この1~2年程で
ラムちゃんにこだわりもん一家 そしてLifeFitなど
銀行とは全く別の業種が入るようになりました。
現在のテナント詳細は下記の通り
| 場所 | 店 | 店舗情報 |
|---|---|---|
| 1階A | 大衆ジンギスカン酒場 ラムちゃん 成田店 | ラム肉のジンギスカン専門の居酒屋チェーン |
| 1階B | こだわりもん一家 成田店 | 和食居酒屋 |
| 2階A | LifeFit 京成成田駅前店 | 24時間営業のフィットネスジム |
| 2階B | MAXIMO DINER NARITA | イタリアンのダイニングカフェ&バー |

上記画像はこだわりもん一家(ラムちゃんの写真はありません。すみません。)
元銀行の建物とは思えないほどの見事な改装です。
1階の2店舗とも一家ダイニングプロジェクトが運営しています。
親会社である株式会社一家ホールディングスは上場もしている今をときめくイケイケ企業です。
銀行の大きな営業フロアだった1階を
同じ会社が2つの店に分けて使っている形です。
なぜ1軒ではなく2軒なのかは、後半で詳しく説明していきます。






2階は24時間営業のLifeFit 京成成田駅前店です。
これが本当に助かっており超絶夜型&色々不健康だった私の人生を変えてくれました。
成田には駅前にジムが無かったのですが
無人で気を遣わず更に月額3,000円くらいで使い放題なので私の今最も熱い遊び場です。
週5くらいで行ってますのでもしかしたら読者の皆さんで通われている方がいればすれ違っているかもしれませんね。
夕方は大混雑なので早朝がおすすめです。
誰もいないときもあるので
自分専用のジムになった感じがして一気にリッチになった気分です。
気分はLarry Juneというやつですね。
ちょっとお話が逸れてしまいました。
また入口は異なりますが同じ2階にはMAXIMO DINERというイタリアンのお店もございます。
こちらもタイミングが合わず行けていないため写真を撮った際には記事に追記したいと思います。

銀行から飲食店やジムになったことは個人的には嬉しいことでありますね。不動産もそうですが銀行の手続きもネットで完結する時代になってきましたのでコストの掛かる店舗営業の在り方が見直されているのかもしれません。
土地の9割は成田山新勝寺のもの|土地の所有者の移り変わり

このビルが建っている土地は3つの土地の番号に分かれております。
割合は下記の通り
| 地番 | 広さ | 持ち主の移り変わり | 所有者 |
|---|---|---|---|
| 816番1 | 794.41平方メートル | 1954年に新勝寺が登記。以後、持ち主は一度も変わっていない | 成田山新勝寺 |
| 816番16 | 59平方メートル | 1925年(大正14年)に成田電気軌道(のちの千葉交通)が買う | 京成電鉄 |
| 816番10 | 10.27平方メートル | 千葉交通 → 成田市へ寄附 → 寄附を取消 → 個人 → 別の個人(遺贈)→ 千葉交通(京成電鉄) | 京成電鉄 |
合計863.68平方メートルのうち、794.41平方メートル。
敷地の約92%は、成田山新勝寺の土地です。
一方、ビルの持ち主は千葉交通(いまは京成電鉄)です。
建物の持ち主と、土地の持ち主が違います。
つまり千葉交通はお寺から土地を借りてその上にビルを建てたと考えられます。
これを不動産用語でいうと借地といい
建物は自分のものだけど土地のレンタル代は地主に払うような形となります。

成田駅前の多くの土地は成田山新勝寺が所有しており、登記を取るとよく出てきます。正直新勝寺が所有しているとアンタッチャブルな感じになってしまいますので不動産屋としてはあぁ~やっぱ新勝寺かぁ。。。というリアクションになります。私だけでしょうか。
成田山新勝寺が地主になっている土地の記事も書いておりますのでお時間のある方はぜひご一読ください。



1970年代の住宅地図と空中写真で見る、ビルができるまでの京成成田駅前

1970年(昭和45年)の住宅地図を見ると、この角はまったく違う姿をしています。
いまビルが建っている場所には、ゆるい弧を描いて小さな店が一列に並んでいました。
成田屋食堂、千葉交通、今村食堂、成和不動産、福豆屋、美楽園、自転車預所、本城商店。
なんだか当時の駅前の方がバリエーション豊かで楽しそうですね。
続いて国土地理院の空中写真でも移り変わりを確認します。

1972年
白黒のため見づらいですが今のビルの姿ではなく
複数の建物が存在したことがうかがえます。

1974年
建物達が解体されビルの建築工事がちょうど行われている姿が確認できます。
勘のいい方はお気付きかもしれませんが
今のJR成田駅からマックの横を通り市役所方面に下る道は当時は存在せず
複数の建物が存在しています。
今とだいぶ街の様子が違います。

1979年
ビルも完成し、現在の市役所通りも完成しています。
前年の1978年には成田空港が開港しています。
空港の開港に向けて、街全体が勢いづいていた時期だったのでしょう。
成田の駅前はめまぐるしく姿を変えてきました。
この市役所通りについては書くことが多すぎる為
また別記事で詳しくご紹介致します。

小さい建物から大きなビル化が進んだ時代なのではないでしょうか。当時の一人称視点での街の様子はほとんど記録に残っておらずこの記事を見ている方で当時の記録をお持ちの方はぜひお知らせいただけますと幸いです。
この時代に建築された建物の記事も複数ございますのでお時間がある方はぜひご一読ください。



1976年、大和銀行成田支店のためのビルが完成

1976年(昭和51年)7月1日、ビルが完成しました。
鉄筋コンクリート造、地下1階・地上3階建て。
延べ床面積は1,514.07平方メートル(約458坪)と駅前の物件ではかなりの面積を誇る物件です。
1階に入ったのは大和銀行の成田支店でした。
下記がビル建設後の地図(1979年)となります。

大和銀行成田支店
そして2階にはレストラン ナリタヤというお店が入っています。
このレストラン ナリタヤが何者なのかについては次項で解説していきます。

余談ですが、なぜ大和銀行が入ったのかを推測してみます。
上記1972年の地図では、左側の千葉交通の敷地と思われる場所に大和銀行が存在します。
恐らく千葉交通が大和銀行の為に銀行用の建物を新しく作ってあげたのではないでしょうか。
ちなみに、このビルの大部分(家屋番号816番1の3)は、登記簿の上では今も建物の種類が「銀行」のままです(2026年10月時点)。
中身が居酒屋とジムになっても、登記の書き換えは後回しにされることが多いんです。
また1979年の地図を見ると、すぐ隣には第一勧業銀行もありました。
第一勧業銀行は今のみずほ銀行で、今も隣のビルに入っています。
大和銀行(りそな)は去り、第一勧銀(みずほ)は残った。同じ駅前でも、銀行ごとに選択が分かれたのは面白いところです。
このビルは一部区画を除いて最初から千葉交通(現在は京成電鉄)の所有となっております。
一部区画については興味深い事実があり次項で説明します。
建物裏の様子



表から見るとこのビルは横に長い2階建てのような白い箱ですが
裏手に回ると印象がまったく変わります。
周りのビルもそうなのですがこのビルが存在する場所の裏手は一段土地が低くなっており
道路に面している場所が建物の1階部分となっている形となります。


ちなみにビル裏の駐車場になっている部分も調べてみたところ
一部は成田山新勝寺が所有しております。


マック横から市役所に繋がっている市役所通りから見るとこんな様子で一段下がっているのがよくわかります。
またこの道路自体も元々は存在せず今道路になっている部分には民家がございました。


画像を見てお分かりの通り道路をぶち抜いている形となります。
この道路についての詳しい記事はまた書きたいと思います。

建物自体は3階建+地下1階で登録されております。地下かどうかは道路ではなく、建物の周りの地面の平均の高さを基準に、その階がどれだけ地面に埋まっているかで決まります。ビルも人も裏を覗いてみないと見た目じゃ分かりませんね。
下記も京成電鉄が所有している物件です。よろしければ記事をご一読いただけたら嬉しいです。


銀行ビルの2階に、個人の店と住まいがあった

個人的にはこの部分が今回最も書きたい部分でした。
最初にこの建物の登記を取った際に
なぜかマンションのように区分所有扱いとなっており複数の家屋番号が存在しました。
千葉交通がこのビル一棟丸々所有していると思いきや
実は一部の区画は別の所有者が存在したことが発覚します。
該当の家屋番号で建物の各階図面を取得すると
現在のMAXIMO DINERが入っている2階の区画と1階の階段部分は
最初の持ち主として個人の方の名前で登録されていました。
なぜこのビルの一部を個人が所有していたのか、謎が深まります。
詳細は下記の通り
| 部分 | 広さ | 目安 |
|---|---|---|
| 2階・店舗 | 84.17平方メートル | 約25坪。小さめのレストランくらい |
| 2階・居宅 | 35.03平方メートル | 約21畳。単身向けの1LDKくらい |
| 1階 | 0.90平方メートル | 畳半分ほど |
2階で店を営み、同じ階で暮らす。
銀行のビルの2階にひとりの人の店と住まいがあったということです。
1階の0.90平方メートルは、幅1.80メートル、奥行き0.50メートルの細長い区画です。
2階の自分の店へ上がる専用の階段の入口だったと考えられます。
今のMAXIMO DINERの入口も、ちょうどこの角にあります。
その足もとにあるのが1972年に千葉交通から個人に売られた6畳ほどの土地(816番10)です。
もう一度このビルがまたがっている複数の土地一覧を見てみましょう。
| 地番 | 広さ | 持ち主の移り変わり | 所有者 |
|---|---|---|---|
| 816番1 | 794.41平方メートル | 1954年に新勝寺が登記。以後、持ち主は一度も変わっていない | 成田山新勝寺 |
| 816番16 | 59平方メートル | 1925年(大正14年)に成田電気軌道(のちの千葉交通)が買う | 京成電鉄 |
| 816番10 | 10.27平方メートル | 千葉交通 → 成田市へ寄附 → 寄附を取消 → 個人 → 別の個人(遺贈)→ 千葉交通(京成電鉄) | 京成電鉄 |
ビルの登記の所在にもこの816番10が入っています。
全く同じ名義で2階の店の持ち主がその真下の角の土地も持っていました。
なぜ千葉交通が建てたビルの一部と、元々千葉交通が持っていた土地の所有権を、わざわざ個人に移したのか。
普通はそんなことをすると色々と複雑になってしまいます。
ただ過去の住宅地図を見ると予想ではありますが腑に落ちる点が見つかります。
成田屋食堂からレストラン ナリタヤへ

1972年(ビル完成前)

1979年(ビル完成後)
2枚の住宅地図を並べます。
ビル完成前の1972年の地図にはこの場所に「成田屋食堂」という食堂が存在しました。
ビルが完成した後の1979年の地図ではこのビルの位置に「2F レストラン ナリタヤ」と書かれています。
並べると、3つの資料が同じ場所を指しています。
| 資料 | 記載内容 | 位置 |
|---|---|---|
| 1972年の住宅地図 | 成田屋食堂 | 角の店の列の南西の端 |
| 1979年の住宅地図 | 2F レストラン ナリタヤ | このビルの2階 |
| 建物の図面と登記 | 個人の区画(店舗+居宅) | 2階の南西。真下の角の土地も同じ人の持ち物 |
角の南西の端で、地べたに店を構えていた「成田屋食堂」。
それが、ビルができると同じ南西の角の2階に上がり
「レストラン ナリタヤ」として店を続けた。
私はそう考えております。
成田屋という屋号を同じ場所で違う人が使うとは考えにくいのではないでしょうか。
ただ、1970年の住宅地図には、少し離れた区画に「成田や本店」という店もあります。
成田屋食堂がその分かれだった可能性もあり、屋号が同じというだけでは断定できません。
なお、地元スーパーのナリタヤとの関係は確認できていません。
そしてその2階の区画の持ち主が個人だったことから
その個人は成田屋食堂の店主(またはその家族)だった可能性が高いと思います。
ただ、登記に書かれているのは持ち主の名前だけで店の名前は書かれていません。
あくまで推測です。
もし当時の詳しいお話を知る方は教えてください。
なぜ、銀行のビルの2階に個人の店があったのか
ここからは、登記の並びからの推測です。
ビルを建てるには、角に並んでいた店に出ていってもらう必要があります。
成田屋食堂が存在した南西の端のあたりの土地は1925年から千葉交通の土地でした。
恐らく成田屋は千葉交通から土地か建物を借りていたと考えられます。
当時の法律(1992年までの旧借地法・借家法)では借りている側の立場がとても強く
貸している側の都合だけでは簡単に出ていってもらえませんでした。
出ていってもらうには多額の立退料(たちのきりょう)を払うか
代わりの場所を用意するのがセオリーです。
登記には、その「代わりの場所」の跡のようなものが3つ残っています。
| 時期 | 登記に残っていること | 読み取れること |
|---|---|---|
| 1972年12月 | 会社が南西の角の6畳ほどの土地(816番10)をその個人に売る | ビルを建てる前に土地の一角が個人のものになる |
| 1976年 | 完成したビルの登記の所在に816番10が含まれている | ビルの南西の角はその個人の土地にかかって建っていると考えられる |
| 1977年5月 | 2階の区画をその個人が自分で登記を申請し最初の持ち主として登記する | 会社から「買った」のではなく、最初からその人の持ち物として登記されている |
3つ目が大事なところです。
もし千葉交通が完成したビルの一室をその人に売ったのなら
建物の最初の登録(表題登記)は、建てた会社が行うはずです。
ところがこの区画は、建物図面の作成から表題登記の申請まで、その個人が自分で行っています。
表題登記は「建物ができたときの持ち主」がするのが原則です。
つまり会社がビルを建て
その中の一室ははじめからその人のものとして生まれたという形です。
再開発でよく聞く「権利床(けんりゆか)」や
土地を出して新しい建物の床と交換する「等価交換(とうかこうかん)」に近い考え方です。
ただ、この角の土地はもともと会社のものなので、店側が土地を差し出したわけではありません。
もとの店の権利(借りている権利)と引き換えに、角の小さな土地と新しいビルの2階の床を手に入れた。
立退料をお金で払う代わりに床で払ったと考えられます。
会社にとっても駅前の一等地で多額の現金を払うより
2階の一角を渡すほうが負担が軽かったのかもしれません。
店にとっても同じ角で商売を続けられます。
そう考えるのが最も自然かと感じます。
そしてこのレストラン ナリタヤの区画は12年ほど個人のものでした。
1980年代の半ば、最初の持ち主の遺言によって別の個人がこの区画と角の土地を受け継ぎます。
そして1989年3月17日。
千葉交通がこのビルの区画と角の土地をまとめて買い取りました。
受け継いだ人が2階でレストランを続けたのかどうかは登記からは分かりません。
受け継いでから数年で手放していることは確かです。
ここで初めてビル全体が千葉交通1社のものになりました。
完成から13年目のことです。
ただ、千葉交通が買い取った半年後の1989年10月には、この区画の登記の種類が「店舗・居宅」から「事務所」に変わっています。
遅くともこの頃には、レストランの時代は終わっていたと考えられます。

成田屋としてもあの一等地で商売を続けたかったという思いがあったのではないでしょうか。当事者に聞かなければ本当のことは分かりませんがもう50年も前の話なので検証が難しい部分もございます。ただ登記を取ることである程度の予測をつけることが可能です。ただの千葉交通ビルだと思っていましたが興奮します。
銀行から居酒屋とジムへ|時代が変わりテナントも変わった
とある仲介会社のテナント物件募集サイトには、今もこのビルの1階の募集ページが残っていました。
すでにお店が営業している区画ですが、掲載が残ったままになっていたようです。
募集の内容は、1階の一部363.60平方メートル(約110坪)で、
募集時の賃料は月額157.30万円。
こだわりもん一家とラムちゃんの区画にあたる部分です。
実際の契約条件は分かりませんが、これはかなり体力のある店子じゃないと借りられませんね。
募集図面には「耐震補強工事実施済み」ともあります。
1976年築のこのビルは、1981年6月より前の古い耐震基準(旧耐震)で建てられているので、補強をしたうえで貸し出されているようです。
「スケルトン」(内装をすべて取り払った、コンクリートむき出しの状態)とも書かれている通り、何もない状態からの改装だったため
こだわりもん一家が一体いくらの改装費を掛けたのか考えるだけでも尊敬します。
不動産業界の方は分かるかと思いますが余裕で200㎡を超えており
なおかつ物件の用途が銀行だった為、用途変更の際に適合させるのがどれだけ大変だったのか。。。
今、こうやって1階で飲食店がある事ってすごいことなんです。
こだわりもん一家もラムちゃんも同じ会社が運営しており
あえて二つの区画に分けて別の店として営業することで
リスクヘッジにもなっているのではないでしょうか。
そもそも1階の区画は、1つの店には広すぎます。
業態を分ければ客層や時間帯も分けられますし、厨房や排気の設備を共有できる利点もありそうです。
こだわりもん一家自体は元々ホテルウェルコ成田の目の前にあったのですが2022年10月末になぜか急に閉店してしまっています。



この張り紙の感じだと急に閉店が決まったようですね。
こんなに好立地でもう4年空いてますがどのテナントも入っておらず
何か事情があるのかもしれません。
普通は空いたらすぐ貸したいですからね。
この辺の事情をご存じの方はコッソリ教えてくれたら嬉しいです。
銀行もオンライン化が進んでおり来店することもほとんどなくなりました。
不動産業界も変わりつつあり大きな店舗自体が不要になりつつある時代に移り変わっているのではないでしょうか。
事業用物件というのはその時代を映すものだと私は思っています。
今の時代に求められている形になっているのではないでしょうか。

銀行、不動産屋、レストラン、そして居酒屋とジム。同じ箱でも、入る業種でその時代が見えてきます。50年前に銀行のために建てられたビルを最大限活用出来たら街にとっていい事ですね。ありがとう京成成田千葉交通ビル。
まとめ
以上が千葉交通京成成田駅前ビルの変遷になります。
そもそも千葉交通以外に所有者がいたことが衝撃です。
世の中には調べてみないとわからないことが沢山ありますね。
このビルもいつかはなくなります。
街は常に形を変え続けます。
この街の2020年代の記録として残れば嬉しいです。
本日もありがとうございました。


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